つげ義春旅写真

下北半島ー2 1970(昭和45)年 9月

 ずっと海岸線を巡って、斧の背の方向では内陸部の農村を点々と歩いてみた。農村地帯は漁村の粗末な家とくらべ大きなワラ屋根の家が多かった。かつてはヒバの林業が盛んで木材に恵まれていたからとか。しかし改築もできず古ぼけた家ばかりで、人影もめったになく活気はない。出稼ぎでしのいでるのだろうか。
 また太平洋側の海の方へ出て、最北端の尻屋崎の近く、尻労へ行ってみると、つげ義春化している家ばかりだった。下北半島の漁業は、以前はニシンやタラ漁で潤っていたが、濫獲がたたって現在はすっかり寂れてしまったと聞いた。
 半島巡りの最後は「恐山」。死者の霊の集まる霊場として名高い。例年七月の大祭にはイタコが出張してきて、死者の言葉を遺族に伝える「口よせ」をする。いかにも前時代的な迷信じみた領域のように誤解されそうだが、この霊場を管理しているのは、最も迷信とは縁遠い曹洞宗なのは意外に思える。もとは比叡山天台行者の籠山修行の大道場であったのが一時荒廃し、1530年頃に曹洞宗が再興したという。
 曹洞宗の開祖は、日本を代表する哲学者でもある道元禅師。その教義は、意味化された自己を否定し<主客合一>による無我の境地によって、この現象世界を主観抜きに、あるがままに感得することを主眼にしたものと理解される。
 あるがままの事実を直視すると、自分にとって不都合、不快を避ける自己中心の判断や認識から生じる煩悩が晴れ、解放された生き生きとした自己を取り戻せるということであろう。
 したがって、あるがままの現実には、迷信やスピリッチヤルはありえず、霊界や輪廻転生も非科学的迷妄として否認される。死者の霊やイタコなどもおよそふさわしくないはずなのだが、それを容認するところが仏教の寛大さなのだろうか。
 禅はすぐれて現世的といえる。けれど私は現世にはこだわらない。煩悩に明け暮れしているせいか、迷妄世界を認めると気が楽になるからだ。親の因が子にむくいとか、宿業に翻弄されるとか、前世での行いが現在の不幸を招いているなどと言われたら、高慢な哲学を説かれるより「そういうことだったのか」とうなだれ納得ができる。
 この旅行のときは何にも知識がなく、ただ興味本位で恐山の迷妄世界に触れてみたいと思っていたにすぎなかったが、9月だったので大祭も終り、イタコにも会うことはできず、寺はひっそりとしていた。
 寺域全体は宇曽利山の火口底なので硫黄臭が鼻につく。噴出する硫黄や温泉の地熱による害なのか樹も草もない境内は、殺風景なだけで、人魂が泳ぎ回るような妖気もなかった。直径2キロの火口湖もあるが、全体としての風景は変化に乏しく不気味さはない。火山現象の露出を地獄に見立てる例は多いけれど、針の山も血の池もなく物足りない。宿坊に泊まると床下から噴出する硫黄臭にまいってしまった。これが焦熱地獄だったのだろうか。
 湯野川温泉で高熱を出し、用心のため恐山の素朴な温泉に入らなかったのは心残りだった。(終/2009年10月 記)

下北半島ー2の旅写真(2009/12/31)

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