つげ義春旅写真

秋葉街道(1973年4月)

 静岡県の海側から北上する天竜川と、南アルプス連峰に挟まれるように秋葉街道がある。秋葉神社参詣の古くからの道であったが、ずっと北上して行くと信州の茅野に至り、諏訪湖から中仙道を経て善光寺参りの道としても利用されていた。けれど、天竜川沿いに鉄道が開通してからは利用価値がなくなり、以来現在までさびれる一方で廃れかかっている。私が訪れたときも、あちこちが崖崩れ倒木などで寸断されたままになっていた。
 そんな道に関心をもったのは、時代から取り残された所は案外昔のままの姿をとどめているもので、もしや宿場も残っているかもしれないという期待からだった。
 この天竜川流域は伊那谷と総称されているが、なぜか二人の人物が「蒸発」をしてきた。俳人井月と、大旅行家の菅江真澄である。自分を棄てるに格好の地だったのだろうか。真澄は井月より68年前の人で、30歳頃にその前歴を消したまま忽然と現われ、少時滞在して紀行文「伊那の中路」を著している。その後は東北地方へ向かい北海道にも渡り、また東北に戻り、秋田県の角館で76年の生涯を閉じている。辺土を歩き回り民俗生活を書きとめた多くの紀行文は「菅江真澄遊覧記」としてまとめられている。優れた業績を残している真澄を蒸発者とみるのはふさわしくないのかもしれないが、それにしてもなぜ過去を棄てたのだろう。
 蒸発とは自己を規定し束縛している関係としての自己を棄てる具体的行為であるが、一切が関係に拠るならば死との関係も含まれる。
 ふだん死をリアルに意識することはめったにないけれど、誰もが死によって生涯を限定され、制限されることによって存在している。関係とは限定や規定を意味し、関係なくして独立自存する存在はありえない。
 生は相対関係としての死によって規定され支えられている。自己を規定する関係を断つ蒸発は死をも断ち、死に支えられている生も同時に失う。死の支えを失った存在は、存在しながら存在しない<空>となる。死からの解放は「生からの解放」でもあり、生の放棄こそが絶対の至福であり、すべての宗教の目標である。蒸発は、はからずも「生死を超える」手取り早い方法なのであった。
 蒸発経験者として私はそのように理解しているのだけれど、「生死を超える」手応えはまるでない。むしろ呆けて生も死も忘れてしまうことを願っている。

  この秋葉街道の旅はPR誌の仕事で、写真家の北井一夫氏と、元アサヒグラフ記者の大崎紀夫氏と三人で出かけた。当時は井月も真澄もまだ知らずにいたのでのんびりしたものだった(全5回)。

1−水窪(静岡県)(2008年4月7日)
2−上村(長野県)(2008年4月7日)
3−下栗(長野県)(2008年6月8日)
4−大鹿村・大河原村(長野県)(2008年6月8日)
5−高遠(長野県)(2008年6月8日・完了)

 

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