渋谷迷宮

御獄神社

イメージ宮益坂の夜店 青山方面に向う宮益坂の中途左手に、御獄神社があるのはあまり知られていない。現在は、宮益坂に面した鳥居をくぐると、コンクリートの石段がビルの三階くらいの高さまでのび、その奥に社殿がある。かつては、といってもほんのなん年か前までは、緩い石畳の坂道だった。したがって、社殿も現在よりかなり低い位置にあったのである。
イメージ御獄神社・石段 右隣りが大きな渋谷郵便局という位置関係は変わらないが、石段に並行した路地には、小さな平屋の店が並び、切手商「渋谷スタンプ」などもあった。代々木のワシントンハイツから米軍将校がやってきては、切手コレクションに夢中だった。
  いまも同じだが、御獄神社が一番賑わうのは、「酉の市」のときである。2004年の今年は、三の酉まであったから熊手を売る店は繁盛しただろうか。しかし、最近は社殿の前に三、四軒が出るだけでさびしいかぎりだ。
イメージ酉の市 坂道だったころの50年代、60年代は、石畳の両側に十数軒が並んだものだ。いや、宮益坂の夜店にしたって、明治通りの交差点のところから郵便局の前まで二十、三十と並んだのだが、いまはわずかに五、六軒を数えるに過ぎない。宮益坂の人通りは、以前の数十倍にふくらんだが、もうだれも「酉の市」には関心が向かないようである。もしかすると、地元住民が極端に減少し、宮益坂を登り下りする人も地方出身者が多く、「酉の市」についてなにも知らないのかもしれない。
イメージラブホテル街 御獄神社は江戸時代から存在した。しかも、多くの参拝者で賑わったようで、周囲には参拝客目当ての花街が形成されたという。それは、浅草の大鳳神社や浅草寺と吉原の関係に似ている。花街の名残りは明治から大正・昭和まで続き、風俗営業店が御獄神社を取り囲んでいた。その、戦前の風俗街は、B29の猛爆で焼け野原と化した。
イメージはかり屋 だが、戦後の復興と同時に御獄神社の周辺は、以前とそれほど変わらない様相を呈したようである。郵便局の先きの「はかり屋」を曲がった路地には、60年代まで「粋な黒塀見越し松」の料亭や旅館が並んでいた。しばらくして、黒塀のわきにロココ調のラブホテルが建ったりした。いまもシティホテル風のラブホテルが数軒残っていて、花街が賑わった頃の「妖し気」な雰囲気を多少は伝えている。(2004/12/2)


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