渋谷迷宮

渋谷川

イメージ山手線脇「のんべい横丁」 宮益坂に向かって山手線のガードをくぐると左手に、山手線の土手と明治通りに挟まれて飲み屋街がある。木造二階建てが連なる「のんべい横丁」のその風景は、まるで「戦後」そのものだ。1962年にガタピシした二階の店に上がったことがある。裸電球ひとつの、頭がつかえそうな低い天井の部屋で、ある大学の助教授が、「この部屋で太宰治にあったことがあるんだ。太宰さんは、よく駄洒落を飛ばして大笑いしていてね」と語った。窓際から外を振り返ると、眼下に渋谷川が流れていた。
イメージ渋谷川(渋谷駅南口付近) 渋谷川は、原宿から明治通りを横切って流れ込んでいた。若者たちで賑わうキャットストリートの下が渋谷川だ。東京オリンピックのときに暗渠化されたが、それまではただの汚いどぶ川だった。渋谷駅のガード付近で富ヶ谷から流れ込む宇田川が合流し、東急東横店の脇を抜け、東横線に沿って恵比寿方面へと流れ、最終的には浜松町から東京湾にそそいでいる。現在の渋谷川は、渋谷駅南口付近でようやく顔を出し、往時の様子が多少はしのばれる。
イメージ宮下公園でのイラク反戦デモ  ところで、いまの五十代に渋谷の「イメージ」や「思い出」を尋ねたことがあるが、多くが「宮下公園」をあげた。70年前後、ベトナム反戦運動が燃え上がり、多くの若者たちは反戦デモの出発点である宮下公園に集結したようだ。宮下公園は、渋谷川の暗渠化の際に、一階の駐車場の上に設けられたコンクリートづくりの空中公園である。
イメージ渋谷川(東横線脇) たぶん、宮下公園は、当時の青春の象徴でもあっただろう。「東京へはなんどか行ったことがあるが、宮下公園しか知らない。渋谷と聞けば催涙弾の臭いだけだね」と語る中年がいるほどである。
 そして、その情景は、その後もそれほど変わっていないのかもしれない。湾岸戦争のとき、さらに今回のイラク戦争と、反戦デモの出発点はいまも宮下公園である。しかし、いまでも宮下公園の下には渋谷川が流れていることを、だれも想像しないだろう。(2004/10/20)

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