渋谷迷宮

渋谷センター街

イメージセンター街の路地 原宿方面から流れてきた渋谷川に、現在の宮下公園の下のあたりで富ヶ谷方面から流れ込んだ宇田川が合流する。宇田川の川筋は、いまも本店通りのバス通り裏に暗渠化されて残っている。その宇田川の周囲を宇田川町というが、すでに1930年代から繁華街として少しずつ発展し続けたといわれている。しかし、若者の歓楽街としての様相をみせたのは、焼跡から復興した50年代だったかもしれない。現在の西武デパートA館の位置には、渋谷日活、渋谷松竹、銀星座といった大きな映画館が並んでいた。そのちょうど裏手には、バー、キャバレー、ダンスホール、喫茶店が数十軒、いや数百軒とひしめいていた。子どもにとっては、その不夜城のような一画は妖しげな「魔窟」のようにも感じられたが、思うほど不健康な場所ではなく、二十歳前後の男女は、そこで大いにダンスを楽しんで青春を謳歌していたようだ。
イメージ銀寿司のあった場所 やがて50年代の後半ともなると、一般向けの飲食店が増えていった。ひと一人が通れるほどの狭い路地奥に銀寿司があり、毎週のように注文品を配達したことがあった。その路地はすでにないが、それでも、センター街からのもう一筋は当時のままで、奥のほうにはアダルトショップや中華食堂などが並んでいる。1970年、宮下公園を出発したベトナム反戦デモは、青山通りへの進路を機動隊に阻まれ、センター街へと敗退した。追撃される若者たちは路地奥へと逃げ込んだが、機動隊はその路地に向けて催涙弾を無慈悲に撃ちこんだ。 
イメージ左角にシャンソン喫茶があった  同じ頃であったかと思う。路地を抜けて、栄通り(本店通り)に出る手前にシャンソン喫茶があった。かなり広い店内で、20席ほどものテーブルがあった。30代から40代の男女が主な客層だったが、みな静かにエディット・ピアフやイブ・モンタンのシャンソンに聞き入っていた。
  それまでは「宇田川町」がそのあたりの歓楽街を意味する名称だった。ところが、70年代中頃からは、「渋谷センター街」が定着したようである。十代の男女が蝟集する通りも、いまでは「安心して楽しめる街」が喧伝されていると聞く。しかし、50年代から60年代にかけての洒落れた「大人の街」の雰囲気とは随分とかけ離れた。黒塀に囲まれた江戸情緒のお好み焼き屋「おそめ」はとっくに消えたが、バー「門」がわずかに50年代の匂いを伝える。


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