渋谷迷宮

三田用水2_西郷山

イメージ旧大山道大坂

イメージまん中の道路が三田用水跡
 大坂上の歩道橋を渡って、三田用水の道を進む。高級住宅が並ぶ台地上の細い道は、これまで江戸時代からの古い道筋と勝手に思っていたのだが、三田用水を暗渠化したものだったのだ。勾配の急な相の坂を過ぎれば、やがて西郷山公園にたどりつく。公園の少し手前からV字形に下りる急坂がある。下りきった右手は母校の菅刈小学校だ。小学校の右隣りが新しく出来た菅刈公園で、かつての西郷従道の屋敷跡である。西郷従道は西郷隆盛の実弟で、犬山の明治村に移築された重要文化財指定の西洋館は公園の北側に建っていた。かつてここは国有地だったからか西洋館は、国鉄スワローズの宿舎ともなっていて、ファンの子どもたちが自由に出入りしていた。当時、すでに老朽化していて、学校帰りの小学生たちは迷路のような西郷邸でかくれんぼを楽しんだ。
イメージ菅刈公園(旧西郷邸跡) じつは、1933(昭8)年、「目黒もらい子殺し」という事件があった。「子やりたし」の新聞広告を見て、子どもを預かると偽って養育費を手にする人たちがいた。川俣某は、養育費を手にすると次々と乳飲み子を殺害した。全部で25人の幼児を殺害したと自供、この西郷山に16人を埋めたという。センセーショナルな大事件であったため遺体の発掘作業中に数百人もの見物人が押し掛け、おでん屋や甘酒屋までが出る始末だったようだ。その頃の草木が繁茂した鬱蒼たる西郷山の面影はいまもわずかに残っている。
イメージ西郷山公園から中目黒を望む  戦後、周辺の住人も入れ変わり事件は忘れられたようだったが、子どもたちは「あの裏山からは夜な夜な赤ん坊の泣き声がするらしいぜ」と怪談話を楽しんだ。しかし、過去にそうした事件が実際にあったとはだれも知らなかった。ただ、「肝試し」を提案してもついぞ実行されたことがなかったのは、足を踏み入れることもできないほど荒れ放題の不気味な森であったからだ。どこかに供養塔などあるかと探したが見つからなかった。高級住宅地と喧伝している以上、凶悪事件などなかったことにしたいのかもしれない。公園を管理する区役所の人も事件に関してはなにも知らなかった。
イメージ明治村に保存された西郷従道邸
 現在、荒廃していた西郷邸の回遊式庭園の南の半分が見事に復元された。いちばん奥の崖の上から激しく落ちる瀧が見上げられる。いまは水道水を利用しているようだが、もともとはすぐ上の三田用水を利用していた。菅刈公園から道路をひとつ隔てた隣りの高台に西郷山公園がある。テレビドラマでもおなじみの公園だが、ここの台地と眼下の目黒川とは15メートルほどの高低差がある。西郷山公園からの展望に終日、家族連れで賑わう。

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