渋谷迷宮

三木武夫記念館

 道玄坂を上り切り、246号(玉川通り)と旧山手通りが交叉する手前南側が南平台である。大きな門柱をかまえた豪壮な家屋敷の並ぶ一角に元首相・三木武夫の記念館がある。故三木武夫が当地に転居したのは60年代の中頃だったろうか。それ以前、三木邸のはす向かいには岸信介の私邸があった。
 1960年6月11日、日米安保条約粉砕を叫ぶ全学連主流派の学生と総評系の労働者で、南平台周辺の道路や路地は埋めつくされていた。前日に来日したアイゼンハワー米大統領の秘書ハガチーと岸首相との会談を阻止するためである。全学連主流派の学生たちは、岸私邸の周りに陣取っていた。鉄かぶとをかぶった機動隊が二重、三重に私邸をぐるりと警護していた。
イメージ三木武夫記念館 全学連の指導者が「安保粉砕」「会談阻止」のアジテーションを繰り返した。ときどき、門前の学生隊列から、塀越しに棒切れや石塊が私邸に投げ込まれた。そのたびに、機動隊は警棒を斜めに構え、突撃の姿勢をとった。指導者が「権力への挑発はやめてください!」と必死になって突発的な行動を抑えていた。
 暗くなりかけた午後6時過ぎ、学生たちは包囲網を解き、デモに出発。道玄坂でSの字状の激しいジグザグデモを展開した。車の少ない時代である。道玄坂の車道は、坂上から坂下まで学生の渦と化した。渋谷東宝(いまのシネタワー)の左右に並ぶ商店の二階、三階にはキャバレーやダンスホールがあった。ジグザグデモが坂下にさしかかったとき、二階、三階の窓やテラスから身を乗り出すようにして、きらびやかな若い女性たちが鈴なりになって「ガンバレ! ガンバレ!」と声援を送った。ある窓からは二、三人の女性が金銀の混じった紙ふぶきを撒いた。五色の紙テープまでが投げられていた。学生たちが見上げて、「がんばるぞ!」と手を振って応えていた。
イメージデモが集結した旧岸邸前 女性たちの行為が、5月19日の岸内閣の強行採決に反対する「民主主義を守る闘い」への共感だったのか、あるいは暴走する「怒れる若者たち」への共感だったのかはしらない。それから4日後の6月15日、中央、明治、東大を先頭に、早稲田、法政を含む都内の全学連主流派の4000人は、国会議事堂の南通用門から構内へと突入した。
 ちなみに、その後、岸私邸跡には高級マンションが建った。三木邸は三木記念館に衣替えしたが、いまも睦子夫人が暮らしているという。そして、邸内は一般の見学者用に開放されている。周辺の屋敷町の様子は60年のときとほとんど変りはない。

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