渋谷迷宮

渋谷三業地

イメージ円山町・料亭 道玄坂を登りきる少し手前に玉川通り(大山街道)から右手に分かれる細い道がある。かつては、粟島道とか滝沢道とか呼ばれていたらしい。つい最近道の両脇に高層ビルが建ったが、十年程前までは、入り口に「渋谷三業地」のネオンのアーチがあった。アーチをくぐってしばらく歩くと右手に和風三階建ての「歌舞練場」があった。玄関には検番が並べられ、二階から三味線の音が毎日のように聞こえた。その円山町の花街がすっかり寂れたのは、バブルがはじけた90年代半ばころからだろうか。それ以前は、いくつもある料亭に灯りがともっていた。たしかに、60年代から粋な黒塀越しの料亭は徐々に姿を消し、同じ場所にはモダンなラブホテルが建ち並んだ。
イメージ円山町・ホテル街 円山町の料亭街が賑わいだしたのは、遠く明治の中頃からだった。いまの井の頭線の神泉駅脇に弘法湯という浴場があり、その周りに料理旅館ができたのがはじまりであった。その後、世田谷に陸軍部隊が増設され、将校たちが料亭を利用するようになったという。大正時代には、待合九十六軒、料理屋三十六軒、芸妓屋百三十七軒、芸妓四百人を数えた。が、1945年の空襲で大半が灰燼に帰した。戦後、焼け残った七軒を基盤に花街を復活させたが、周辺にはアメリカ占領軍のためのキャバレーやダンスホールが乱立した。
イメージ右側に「道玄坂地蔵」  弘法湯は戦後も銭湯として営業していたが、現在はマンションである。しかし、いまでも円山町の雰囲気はあちこちに残されている。かつての料亭がその後、「連れ込み旅館」に変貌したりもしたが、料亭街の雰囲気はまだ漂っている。ラブホテルに挟まれて、路地の奥に地蔵菩薩が奉ってある。「道玄坂地蔵」の名で親しまれているが、三百年前は、玉川通り(大山街道)にあったそうで、関東大震災のあと円山町に移されたという。
イメージ円山町・路地  滝田ゆうの「寺島町奇譚」ではないが、円山町も路地の多い街である。しかも、上り下りの坂道や石段が入り組んでいる。まさに迷路もどきである。ある種、淫靡な匂いをもった色街というのは何処も同じような構造と雰囲気をもつのかもしれない。(2004/8/30)


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