渋谷迷宮

テアトル渋谷

 渋谷の町がB29の猛爆を受けたのは1945年の5月のことである。下町が全焼した「東京大空襲」といわれる310日から二ヶ月あまりが過ぎていたが、その間も東京全域が連日の空襲に見舞われていた。渋谷や青山周辺もその対象外ではなく、34月と散発的に焼夷弾の標的になっていた。3月のいつであったか、駒沢練兵場わきの防空壕から、青山・渋谷周辺の町が夜空を真っ赤に焦がして炎上する光景を目の当たりにした。B29が一機、日本の戦闘機の迎撃によって火を噴いて東方へと落下していった。そして、525日の空襲によって渋谷もまたすっかり焼け野原と化したのである。焼け残ったのは、駅前の東横デパートと渋谷松竹などの映画館や銀行の建物だけであった。
イメージかつてのテアトル渋谷の隣接地 815日の敗戦からひと月以上が経過していた。ハチ公前広場から西方を見上げると、焼け野原の彼方、小高い岡の上に白亜の建物が残っていた。いかにも西洋の城のようなたたずまいだった。道玄坂から百軒店の急坂を登りきると、テアトル渋谷という映画館があった。それが西洋の城のように見えた建物である。そのころは、まだ戦中のままの「渋谷キネマ」の名前だったかもしれない。ともかく、岡の上に残っていたのはこの映画館と喫茶店の「ライオン」だけだったように思う。周囲の焼け跡を片付けるためにブルドーザーが動き回っていた。壊れた水道管から大量の水が噴出し、百軒店のレンガが剥き出しになったゴロゴロ坂を川のように流れ落ちていった。
 まだ映画館は再開されていなかった。仕方なく、いまの西武デパートA館のところにあった渋谷松竹の地下劇場・銀星座でアメリカの喜劇映画を観た。「渋谷キネマ」がテアトル渋谷として再開されたのはいつだったのか。昭和初期に流行したアール・デコ風のデザインを模した三階の休憩室からは、青山あたりの焼け野原が眼下に望まれた。

(古田 薫)

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