観光地盛衰記

名勝・玉淀

イメージ東上線玉淀駅


イメージ鉢形城跡を囲む玉淀一帯
 東上線の終点である寄居のひとつ手前が玉淀駅だ。玉淀といえば、かつては景勝地としてかなりの観光客が訪れた。すぐ近くを流れる荒川の南岸に戦国期の鉢形城跡がある。井伏鱒二の小説「武州鉢形城」の舞台である。後北条の鉢形城は秀吉勢の攻撃にあい、天正十八年に落城したが、城砦は、荒川に面した崖壁の上に築かれた要害堅固な城であった。荒川を隔てた対岸から、その数十メートルに及ぶ垂直の城壁を見上げると、まるで水墨画を連想する景観である。
 1931年(昭和6)、地元の有志によって、この鉢形城跡を囲む一帯が名勝「玉淀」と指定された。この時代、国策に便乗して、つまり経済発展を見込んでの観光開発が盛んであった。いまでいう「ディスカバー・ジャパン」である。そのとき、景勝と合わせて祭事をつけ加えることを忘れなかった。玉淀駅近くの川岸に小さな石宮があった。古くから荒川の漁師たちが水難除けとして祀った庶民信仰としての水神である。それを、あらたに水天宮として祀ることにし、北岸の段丘上に神社を建立したのである。と同時に、水天宮祭として毎年八月五日に花火大会をも開催することとした。
イメージ水天宮祭の花火大会

イメージ河原の売店
 そのころ、景勝を眺め、舟遊びに興じるという「風流」が荒川流域や利根川流域に流行した。ここ玉淀にも、「昭和の風流人」のために、北岸に立派な船宿が並んだ。おかげで観光地として脚光を浴び、戦後になっても多くの人で賑わった。やがて、船宿から割烹料亭、料理旅館へと衣替えしたところもある。だが、どこもおなじだが、60年代の高度経済成長とともに「風流」は消滅した。ゴルフやドライブを含めた娯楽の種類が増えるにしたがって、水墨画的な風景を眺めたり、舟遊びを楽しむといった「風流」は時代遅れとなった。
 北岸に並ぶ旅館が賑わいを見せるのは、いまでは水天宮祭の花火大会の夜だけとなったようだ。現在は、八月の第一土曜日が水天宮祭であるそうで、川岸には山村の奥から数万が駆けつける。何百というぼんぼり提灯で美しく飾られた船山車が何艘も荒川を上下し、その天空高くに、鉢形城跡から次々と花火があげられる。夜空には大歓声が響くが、だれも水神祭には関心はないらしく、神社は閑散としている。

(2004年8月17日)

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