知られざる宿場

海野宿

イメージ70年代の 海野宿全景  宿場巡りを始めて5〜6年したころだった。70年代のはじめ、つげ義春さんから善光寺街道の海野宿の存在を教えられた。つげさんが所持する『信濃の宿』という簡素なガイドブックに海野宿が紹介されていたのだ。掲載された写真を見ると、格子造りの民家が並ぶ宿跡は未舗装のままだった。街道の中央には用水路が流れている。ひっきりなしに土ぼこりが舞いそうなその宿跡の景観に目を奪われた。つげさんも、「ぜひ一度訪ねてみたいとは思うのだけど、この写真と違っていたらいやだからね」といった。ちょうど「モータリーゼイション」が叫ばれ、どこもかしこも道路の改修工事が行われていた。全国の宿場跡に残されていた用水路のほとんどが、わずか2〜3年ですっかり姿を消した。
イメージ80年代の海野宿  海野宿を訪ねたのは、それから5年が過ぎていた。すでに、奈良井や妻籠が「観光宿場」として賑わっていたから、一抹の不安がないではなかったが、海野はじつに静かだった。ゴールデンウイークにもかかわらず、宿跡に人影はまったくなかった。片側の街道だけは舗装されていたけれども、用水路に渡された石橋も自然石を利用した宿場時代のものばかりだった。宿跡のなかほどにタバコ屋が一軒あるだけで、落ち着いた雰囲気に包まれていた。
イメージもとは藁葺きだった民家 宿跡に並ぶ90余りの民家のうち三分の二が江戸時代の建物だそうだ。残りも明治時代のもののようだった。明治維新後、宿場としての役割を終えたが、海野は新たに養蚕業で栄えた。そのおかげだと思うが、宿場時代の景観を維持することが可能だったのだろう。70年代から80年代にかけての「歴史の町並み保存」運動から距離を置いていたのも、奈良井や妻籠と違って、経済的に恵まれていたからかもしれない。
イメージ雰囲気のある家並み  しかし、バブル経済の波は海野にも及ぶ。荒れ果てた廃寺跡は、急遽、駐車場と化し、土産物屋や飲食店が登場する。マイカーや観光バスが連なって押し寄せる。「知られざる宿場」はいっきに「観光宿場」となった。観光客は、「まるで太秦の映画村みたいよね」という。本物が偽物以下に見えてしまう始末なのである。それもやむを得まい。
イメージ2000年頃の海野宿古来の石橋は取り払われ、用水路もカラフルな石で組み直され、宿跡にはなんと西洋風な街灯までが立つ。いわば、「モダンな宿場」の出現である。そうでもしないと観光客は訪れないのだろう。つげさんの危惧は見事に的中したことになる。
(2008年3月3日)



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