知られざる宿場

須川宿

イメージ湯宿(1968年)  つげ義春が三国街道沿いの湯宿温泉を訪ねたのは、1968年2月だ。「湯治場というより、宿場の面影を残す湯宿温泉の侘びしさはまた格別で、湯治場や物侘びた風物に惹かれる気持をさらに強くした。」と「旅年譜」に短くメモしたが、その後、「上州湯宿温泉の旅」と題して、長い旅行記にまとめた。(『貧困旅行記』新潮文庫所収)
イメージ湯宿(1968年)  当時の湯宿には、たしかに「旅路の果てに来たような絶望的な気分」にさせるほどの雰囲気が漂っていた。古い「旅人宿常磐屋」の看板を掲げた温泉宿、曲がりくねった細い路地の奥には、鄙びた狭い共同浴場、そして、小さな駄菓子屋。つげは、それから半年後、湯宿温泉にヒントを得て、名作「ゲンセンカン主人」を発表した。
イメージ須川宿の景観 湯宿温泉から500メートルほど南の台地に三国街道の宿場・須川宿跡がある。現在は「匠の里」として復活し、多くの観光客が訪れているが、68年当時、宿場時代の景観はすっかり失われていた。もともと、雑草が生い茂る原っぱの中の淋しい宿場だったようだ。三国街道を上り下りする旅人も温泉の湧く湯宿のほうに足を向けてしまうので、飯盛女を置いて対抗したという。そして、明治以後、三国街道は湯宿経由となったため、須川はすっかり寂れ、ただの農村地帯となった。いまは、道路際に寄せられた用水路の静かな流れが、かつての宿場らしい情景を保っている。
イメージ須川宿・用水路  須川宿が「村おこし」のいっかんで再出発したのは、80年代になってからだったか。中山道の奈良井や妻籠は、宿場の復元に力を注いだが、須川にはすでに宿場らしい家並は残っていなかった。そこで、農家を改造し、伝統的なもの造りの家並とした。結果、それが成功したようである。観光バスが列をつくるような賑やかさはないが、かえってそれが、宿場らしい落ち着きを伝える。
イメージ須川宿・農家 1968(慶応4)年、須川のはずれの神社に「世直し大明神」なるものが現れ、それが一揆へと発展した。この「世直し一揆」は上州博徒に煽動されたものとはいえ、内乱時における農民たちの不安と焦燥を物語っていた。人が途絶えた夕暮れどき、山々に囲まれた街道はひときわ美しく映える。

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