知られざる宿場

白井宿

 白井宿は、群馬県渋川市の北方、二キロばかりの位置にある。そこは利根川と吾妻川が合流するV字状の台地である。渋川から三国街道をまっすぐ北に向かい、吾妻川に架かる吾妻橋を渡った鮎沢の右手の台地といった方がわかりやすい。鮎沢の交差点から坂道を上ると、「白井宿」と掲げた大きな看板がみえる。そのまま曲がりくねった細い道をたどれば、五、六分で白井宿だ。
イメージ白井宿の民家 だが、白井は、正確には宿場ではない。台地上の尖端に白井城が築かれたのは15世紀ごろだった。利根川と吾妻川を利用した要害堅固な城砦であったにちがいない。元和年間(17世紀)には廃城となったそうだが、それまで白井宿といわれるあたりは、城下町として栄えていたようである。15世紀末に万里九集という僧侶が著わした『梅花無尽蔵』という旅行記に、白井は「京洛の如し」とまで表されたほどで、室町から戦国期にかけて、上野一帯の文化の中心地でもあったようである。いまも、城跡周辺の農村集落には、中世の匂いが漂っているようにも思える。
 城跡から東へ少し坂を下ったあたりの白井宿だが、当初は、城下町として発展した。そして、廃城後も「町」としての機能を維持したのだろう。南北に垂直に伸びた街道にそって民家が並ぶ情景は、宿場そのままだ。しかも、街道のまん中には宿場特有の用水路まである。
 70年代の中頃に白井宿の存在がクローズアップされたのは、用水路のおかげだ。かつては、どの宿場も道路の中央に用水路が設けられていたのだが、車の普及とともに60年代の終りから70年代の初めにかけて、全国の宿場跡から用水路は消えていった。白井は、本来の意味での宿場ではないが、宿場の形態を十分に伝えているといっていいだろう。
イメージ白井宿のつるべ井戸 ただ残念なのは、黒い自然石を積み上げただけの旧来の用水路が、その後、見栄えのいい石で改修され、いかにも「現代風」のしゃれた景観になったことだ。70年代の終りに訪ねたことがあるが、用水路わきのつるべ井戸までも昔のままであった。だが、それは、わびし氣な宿場の情景としてあった。わびし氣な情景から華やかな江戸風への変貌である。つるべ井戸も新しくなり、農道に打ち捨てられていた石造物もよみがえった。村おこしによる「白井宿再発見」の結果である。近くにできた「子持村温泉センター」は地元民で賑わっているが、白井宿を訪ねる人はいまも多くはない。が、宿内の静けさは捨てがたい。

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