知られざる宿場

青柳宿

イメージつげ義春ペン画・青柳宿 つげ義春さんが『夜行』で善光寺西街道の青柳宿を紹介したのは、1974年だった。つげさんはその2年前に夫人のマキさんと同所を訪ねた。そのとき目撃した景観をペン画で描いたのである。街道や宿場などまだだれも注目しない頃で、青柳宿跡には茅葺きの民家が何軒も残り、江戸時代のままのようだった。たぶん、青柳の宿場時代の景観を記録したのは、つげさんのペン画だけだと思われる。
イメージ現在の青柳宿跡  それから5年して青柳宿を訪ねてみると、つげさんが描いた宿はずれの茅葺きは見当たらず、畑地となっていた。それでも、車一台が通れるほどの狭い街道の両側に民家が並ぶ様子から、山あいの静かで寂し気な宿場の雰囲気が想像された。江戸時代には、旅籠は十数軒を数えるだけの小さな宿場であったようだ。同じくつげさんがペン画で描いた本陣付近は、70年代末でもペン画のままで、しっかりした石組みの用水路にそって茅葺き民家がまだ二、三軒残されていた。
イメージ青柳宿・大切通し 先きの宿尻を過ぎて、四〜五分も歩くと切り通しがある。この切り通しは、戦国時代の天正年間から幾度かにわたって開削された。最後の開削が1809(文化6)年で、現在の姿はそのときのものである。鑿で削った荒々しい跡も鮮やかに残り、切り通しの上方には開削に参加した農民たちの名がしっかり刻まれている。切り通しの周りの窪みには、道中の安全を祈願した観音像などの石仏が置いてある。かつては百体以上もあったが、ここ30年のあいだに三分の二ほどが心ない人たちに盗まれたようだ。
イメージ切通しの石仏群  切り通しを抜けて、北西に目を遣ると雪をいただいた日本アルプス連峰が遠く望める。松林の中のいかにも旧街道らしい趣きのある道を進むと、こんどはやや小さめの切り通しがある。しかし、数年前、そのわきに高速道路が開通し、のんびりした旧道の風景をすっかりぶち壊してしまった。街道研究家の今井金吾氏は、かつて、青柳宿跡から大切り通しを経て小切り通しまでの風景を、日本の旧街道のなかでいちばん好きだ、と記していたのだが。

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