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レオノール・フィニ展

 渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムにて開催されたレオノール・フィニ展(6/18〜7/31)を見てきた。フィニの名は70年代のはじめに、マンガ家の秋野すすきより聞かされていた。秋野がその頃すでにフィニに注目していたのは、72年に西武美術館で開催された「幻想と愛の世界 フィニ」展を見ていたからかもしれない。
 フィニは、1907年にアルゼンチンで生れた。その2年後、オーストリアに移住し、弁護士の叔父の家で過ごす。15歳のころ、反ファシストであり、イタリア共産党のシンパであった叔父からプルースト、ジョイス、カフカなどの文学を教えられ、またクリムト、ムンク、ビアズリ−などの絵画に関心を抱くようになる。そして、翌年、地元トリステンの展覧会に出品。その後、ミラノ、ミュンヘン、パリなどヨーロッパの各地を転々とし、やがてブルトンをはじめとするシュールレアリストたちと交流を深める。が、ブルトンたちのカフェでの会合を嫌い、「シュールレアリズム運動」からやや距離を置く。1996年パリで死去したが、戦前・戦後から晩年にいたるまで70年にわたって精力的に作品を発表し続けた。
 今回、開催された「レオノール・フィニ展」は、東京では72年以来である。「フィニは、自身の芸術の信念に従って奔放に生き、シュルレアリズム運動と互いに大きな影響関係を持ちながらも、常に自由な立場にあろうとして、いかなる芸術運動とも正式には関わりませんでした。」(図録あいさつ文より)とあるが、フィニにとってブルトンたち「カフェおしゃべり派」がどう映っていたのか興味深い。
 それにしても、60年代初期の抽象的な作品が、同時代の山下菊二など日本のシュールレアリストの作品に共通するところが不思議だ。たぶん、全世界的に60年代初頭は「渾沌」の時代であったのだろう。深緑や青緑を際限なく塗り重ねてゆく偏執狂な両者の表現作業は、他者には理解しがたい複雑な思想性=戦後的混沌に出自するだろうか。秋野が注目したのも、そこから発した強靱な精神力と形而上学的なロマネスクであったろう。
 反抗的な自画像がいい。(2005/7/25)

フィニ展はこのあと、大丸梅田、群馬県立近代美術館、名古屋市美術館と巡回。詳しくはBunkamuraザ・ミュージアムにて。(画像は図録表紙より)

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『夢の肉弾三勇士』流山児★事務所

 流山児祥原作・天野天街演出の「夢の肉弾三勇士」をみた。登場するのは、肉弾三勇士のほかに、猿飛佐助と真田十勇士、霧隠才蔵、安重根、川島芳子、憲兵、スパイ、その他もろもろ。その登場人物の口から豊臣秀吉、徳川家康、小西行長、加藤清正、から北一輝、マッカーサー、昭和天皇の名が飛び出し、そして、朝鮮出兵、中国侵略、伊藤博文暗殺、関東大震災、朝鮮人虐殺、2・26事件、上海事変等々が語られる。一時間四十分、物語は前後左右し、ものすごいスピードで展開する。 明らかなように、舞台は東アジアにおける日本の侵略史を背景とする。初演は1972年というから、当時はストレートに「反日」をテーマとしていたのだろう。しかし、天野演出は、いわゆるアングラ的な「社会主義リアリズム」をも解体し、まさにシュールな現代演劇へと飛躍させた。そして、流山児と天野のコラボレーションによって、より深みのある意味深なドラマを構築する。突然、観客の何人かを舞台に引きずり出し、穴蔵に閉じ込めるパーフォーマンスめいた演出も、じつは、いまや誰もが世界の傍観者ではあり得ない、という現実を表象しているのかもしれない。「いま世界の王はだれか、秀吉か家康か?」「いや、アメリカ!」というセリフ、そして、永久革命家にあらずして、「われら永久忍者としていつまでも」といったことばの端々から、一見テーマ主義的とみえないこともないが、天野演出は、硬直した思考を軽く飛び越えていく。少年王者舘の演劇とも見間違う登場人物全員のダンスシーンは圧巻だ。また、朝鮮人虐殺時の亀戸から横浜までの虐殺人数を数えるところ、さらに、日の丸にあらずして数々の黒丸の旗、赤旗を巻きつけたチマチョゴリ。「イデオロギーなんて知らないよ」とうそぶく天野の歴史意識の深さは、すでに少年王者舘から立証済みではあるが。3月29日まで上演。
詳しくは流山児★事務所のサイトで。(2005/3/25) 

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「菅野修原画展」の様子

2月14日よりはじまった「菅野修原画展」の様子が送られてきました(画像をクリックすると大きくなります)。
18日(金)6時からは菅野氏を囲んでのパーティーもあるそうです。
また情報が入り次第アップする予定です。(2/15)

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