北冬書房 出版案内

2006 2005 2004

山下耕作監督「関の弥太っぺ」

 長谷川伸に代表される股旅小説や股旅映画が大衆社会に浸透したのは1930年代、いわゆる昭和初頭であった。とくに歌舞伎役者の六代目菊五郎が演じた長谷川原作の「瞼の母」「関の弥太っぺ」「沓掛時次郎」「一本刀土俵入り」は、歌舞伎以上の名演として後世に伝えられた。そして、長谷川の股旅ものはそれ以外の作品も含めて相次いで映画化され、また旅芝居として全国津々浦々に及んだ。それは、敗戦後もまったく変わるところがなかった。農業人口は50年代まで日本全体の7割から8割を占めていたと思われる。股旅ものは、ヤクザの出入りが主軸のように映るが、じつはどれもが「農村の物語」であった。同じ作品が繰り返し映画化された理由もそこにあるのだろう。
 山下耕作監督の「関の弥太っぺ」が封切られたのは1963年である。山下の監督デビュー作であった。助監督をつとめた牧口雄二が述懐するように、チーフ助監督の中島貞夫をはじめとしてスタッフ全員がこの作品に全力を傾けた。長谷川の原作は意外にのんびりしていて、ラストも映画とはまったく異なる。しかし、死に縁どられたこの作品は、戦後股旅映画の傑作のひとつといっていい。
 「関の弥太っぺ」のまえに加藤泰の「旅と女と旅鴉」(58年)「瞼の母」(62年)があったが、それ以前、つまり50年代中頃までの股旅映画は、例外なくハッピーエンドであった。30年代のそれも、伊藤大輔など一部の傾向映画を除けば多くはハッピーエンドであったようだ。50年代後半からの股旅映画がハッピーエンドに終らなかったのはなぜだろう。深い断念を抱え込んだ股旅映画に、加藤や山下の戦争体験や戦後体験との格闘を触知してもいいだろうか。そしてまた、山下の「関の弥太っぺ」、加藤の「瞼の母」「遊侠一匹・沓掛時次郎」等の辛口の股旅映画は、中村錦之助という不思議な役者の存在によって可能となったともいえそうだ。 かつて、小説家の高橋和己が語っていたように、静かに風にゆれる紫紅色のムクゲの花の美しさは忘れがたい。
  11月18 日よりシネマヴェーラ渋谷ではじまる「錦之助・橋蔵と東映時代劇の巨匠たち」にて、「「関の弥太っぺ」が11月18 日と23日に上映されます。詳細はシネマヴェーラ渋谷のホームページをご覧下さい(2006/11/15)

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