山水巡礼

続・御柱祭り

 長野・諏訪地方の諏訪大社の御柱祭りは、上社・下社ともに五月に無事終わったが、各村落に存する神社の御柱祭りは、今年いっぱい順次日曜ごとにくりひろげられていく。九月某日の茅野玉川の矢作社での祭りは、激しい雨の中でとりおこなわれた。
イメージ木落しを終えて 粟沢地区の矢作社は、1906年(明治39)の合祀令によって近隣の三つの神社を合併したものである。合祀令というのは、それまで民間信仰として存在した自然神道を国家(天皇制)神道に糾合する目的をもっていた。明治政府は、村のあちこちに存在した無数の社を「一町村に一社」と命じた。このとき、庶民の民間信仰を無視・圧殺するものとして、執拗に反対を唱えたのが南方熊楠である。
 「鎮守の森」の祭りであるから、御柱といっても諏訪大社ほどの大きさではない。しかし、十数メートルはあるだろうか。一応、メデドコ(角)も頭と尻尾についていて、それぞれに五、六人が乗っている。大きな危険をともなうことはないが、急坂の「木落とし」だってあるにはあるのだ。当然、木遣りや喇叭隊もついている。つまりは、諏訪大社の「ミニチュア版」である。
イメージ村落の中を進む 村人総出といっても百人ほどか。豪雨のなかの御柱は、農道のどろんこにはまってなかなか進まない。やむなくブルドーザーの出番である。一時間以上かけて、社殿に到着。それから建てるまでが一苦労。村人以外の見物客は一人もいないが、こうした知られざる御柱祭りのほうが見ていて楽しい。御柱に登ったずぶ濡れのリーダーや若者たちにまわりからユーモラスな野次が飛ぶ。そのたびに爆笑の渦となる。二時間かけて雨の中にすっくと立った。花火、爆竹、クラッカーがはじける。田んぼの中からも「ズドーン」と大きな花火が打ち上げられた。
 ちなみに、神社の境内だけでなく、軒下や農道わきの小さな石祠にも御柱はたてられる。三十センチ、五十センチのものまでまちまちだ。それらもまた、五穀豊穣の祈りである。(2004/9/7)

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(左・中央/黄金に色づいた田んぼのあいだを進む御柱、右/社殿に到着)

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