山水巡礼

御柱祭り

 六年毎の御柱祭りが今年(2004)の4月、5月と盛大に催された。諏訪大社の御柱祭りの起源は太古にまでさかのぼるといわれるが、明らかではない。諏訪大社は、狩猟の神、風の神、水の神、農耕の神として信仰され、平安時代からの記録は残っているようだ。
イメージ前宮の立て御柱 直径1メートル、長さ17メートル、重さ20トンの巨木が八ヶ岳で切り倒され、人力だけで、十数キロはなれた諏訪大社まで曳行される。諏訪大社上社には本宮と前宮があり、それぞれの四隅に御柱が建てられる。八本の御柱の曳行が一番注目を浴びるのは、35度の急坂を落とす「木落し」と、雪解け水も冷たい上川を越える「川越し」だ。たしかに負傷者も出るほどの、危険がともなうそれらは、勇壮であり、また華々しくもあるが、高原を進む「山出し」も見逃せない。二十年前、三十年前の「山出し」には、地元の農民しか参加しなかったが、最近は一般の観光客もはせ参じるようになった。それは、御柱の曳行にだれでも参加できるからだろう。戦前までは、男しか参加できなかったというが、いまでは、数知れずの中年の女性観光客が汗水ながして引っ張っている。
イメージ北山組の木落し 残雪に覆われた八ヶ岳の麓を出発した御柱は、ゆっくりと農道を引き出されていく。山麓一帯に甲高い木遣りとラッパ隊の音量が響き渡る。その音響にあわせて数百人が荒縄に力を入れるが、なかなか動き出さない。途中の穴山という村落は「難所」である。出入り口がかぎ型になっていて、スムーズには通れないのだ。御柱につけられたメデドコと呼ばれるツノが、まわりの民家を壊しかねない。棟梁が御柱の先頭に立って指示を与える。一センチ、二センチの隙間をつくっての作業である。何時間もかけて「難所」を通り抜けた瞬間は、数万の観衆からの拍手喝采。棟梁にとっての腕の見せ所というわけだ。イメージ穴山の難所 今年は、北山の法被をつけた男たちが一番元気だったようにみえた。柏原、湯川、糸萱、芹ヶ沢といった数々の字名を白く染め抜いた赤旗が十数本なびく。諏訪地方ではもっとも北方に位置する村落である。そこは、江戸時代に入って新田として開発された農村だ。
 眼前の蓼科や北八にも残雪が認められる。「山出し」三日目の「川越し」の当日、上川には終日雪が降り注いだ。四月とはいえ、春はまだ遠い、と思わせた。

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