山水巡礼

岩瀬湯本

イメージ湯野上温泉附近 つげ義春が東北へのひとり旅に出たのは、1967年の秋である。そのときの心境を次のように記した。
「古い旅の本で東北地方の湯治場の写真を見て、あまりに惨めで貧しそうで衝撃を受ける。自分の奥の何かが揺さぶられたような胸騒ぎを覚え、じっとしておれない気持ちで出かけた。」(「旅年譜」より)
八幡平の蒸ノ湯、後生掛を訪ねたあと、角館、小安峡などを経て南下し、福島の湯野上、岩瀬湯本、二岐温泉を訪ねている。このときの体験を素材に「オンドル小屋」や「二岐渓谷」などの名作が生まれることになる。
 その後も作者は何度か岩瀬湯本を訪れている。数十軒もの茅葺き民家が並ぶ岩瀬湯本の景観に魅了されたこともあるのだろうが、それだけが理由ではなかった。当時の様子を「旅年譜」で「湯野上から岩瀬湯本にいたる鶴沼川の懸崖に、家畜小屋のように惨めな家屋が五、六戸固まって雨に濡れているのをバスの窓から見て、そのボロ家に抱きつき頬ずりし、家の前のぬかるみに転げ回りたい衝動を覚えた」と綴った。その後にも友人と同所を訪ねているが、「三年前に見た鶴沼川懸崖の家畜小屋のような集落を見に行くが、いくら探しても分からなかった」ようである。
 つげさんが67年のひとり旅から帰京した翌日、詳しい旅の報告を受けた。つげさんにとって東北旅行は、たいへん刺激的な体験であったのだろう。それは、5時間以上にも及ぶ「土産話」からも明らかであった。
イメージ 裏から見た湯口屋旅館  つげさんは「ぜったい行くといいですよ!」と再三再四口にされたので、翌年のゴールデンウイークに鈍行で須賀川に向かい、須賀川からバスで岩瀬湯本に出た。バスで二時間を要した。つげさんが感激するほど、岩瀬湯本はどこを見渡しても茅葺き民家ばかりだった。観光客の訪れることのないひっそりした集落にみえたが、漁の解禁日に当たっていたようで、このときばかりはどの温泉旅館も満室だった。
  その後、7〜8年おきに岩瀬湯本を三度訪ねた。訪ねるたびに茅葺きの民家が姿を消していった。したがって今回の旅は、40年ぶりの湯口屋詣ということになる。前回の95年のときに茅葺き民家のほぼ絶滅を確認していたから、あとはゆっくり温泉を楽しめればよかった。そして、もうひとつ目的があった。つげさんが目撃した鶴沼川懸崖の集落を確認することであった。旅に出る前につげさんに会い、集落のあった場所を聞きただした。五万分の一の地図も用意したが、つげさんが指摘する周辺に民家の印はない。地元の人に尋ねるのがいちばんなのだが、これまでの経験上、古老の話というのは記憶違いか作り話がほとんどであるから当てにはならない。
イメージ湯口屋旅館玄関
 今回の旅は、地方テレビ局の「つげ義春の温泉」の企画に参加した結果だ。湯野上温泉で出会った人につげさんの先の文章を示すと、すぐに場所がわかった。地図上に家の印はないけれど、二軒が残っているという。「40年くらい前までは5〜6軒あって、炭焼きをしていたようですね」と説明された。戸数からみて、つげさんが目撃した集落に間違いないようだった。さっそく当地に急行した。
 40年前、県道は現在の半分ほどの幅だった。たしかそのあたりはまったく舗装されていなかったように記憶している。鶴沼川に北側から流れ込む一筋の細い川があり、その川と鶴沼川とに挟まれたV字形の平地が今も街道から一段と低くなっている。そこにトタン屋根の平屋があった。裏の庭で園芸を楽しむ婦人としばらく話し込んだ。
「そうだね、むかしはここに6軒ほどあったね、いまも向こうに見える家には80過ぎの年寄りが三人いるよ、わたしは娘の頃、東京に出て、大田区にいたな、それから嫁に行って、親の職業がそのころは下駄屋だった、親はそのあと会津若松に出てね、親が亡くなったあと、むかし住んでいたここにもどってきた、ここの景色がいちばんだね、山のかたちがいいよね、静かだし、庭には花がいっぱい咲くしね、えっ? わたしのこと? 東京でもいろいろとあったからね、話すと長くなるしさ、おやじも下駄つくっていて、床助下駄、小原床助さんの下駄ね。ああ、おやじってだんなのこと、作りかけのがいっぱいあるから土産にあげるよ、うん、そうだね、40年まえはここにいた人はみんな炭焼きをやってた、あとは山菜採りとか道路工事に出るとかだ。この奥は山が深くてどこまでも道があるよ。
イメージ 岩瀬湯本付近 この山の奥で炭焼きやっていた。東京にも友だちはたくさんいる、外国旅行してる友だちから真っ赤なヒマワリの種をもらったから今年は真っ赤なヒマワリがいっぱい咲きそうだね、最近は俳句もやったりね、庭の手入れで忙しい、ひとり暮らしだけど、こんなに景色のいいところはないからね、ほらそこの鶴沼川の大岩の姿っていいよね、えっ?わたしもテレビに映るの? このままで? ハハハ困ったね」
 彼女は50代半ばだろうか。ということは40数年前は10歳前後ということになる。つげさんが乗っていたバスにいつまでも手を振っていた女の子というのは、ひょっとして彼女だったのだろうか。


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