山水巡礼

踊り念仏

イメージ一遍聖絵 1961年頃から上野の東京国立博物館にたびたび出かけていた。二階の常設展示のガラスケースには、いくつもの絵巻物がひろげられていた。「男衾三郎絵詞」「鳥獣戯画」「地獄草紙」「百鬼夜行絵巻」などとともに「一遍聖絵」(1299年)がいつも並んでいた。数年前からの「改革」のおかげで、現在こうした名品は常設展示されなくなってしまったが、そのころ「一遍聖絵」をはじめてながめ、少なくない感慨を抱いた。
イメージ 小田切の里  一遍上人そのひとについては何も知らなかった。ただ、絵巻全体を貫く寂寥感に注目せざるをえなかった。また、町中や仏堂で一遍を中心とするダイナミックな踊り念仏の様子に目を見張らされた。しかし、当時はこの絵巻について美術史家が簡単な解説をするにとどまっていた。わずかに家永三郎や宮本常一などの歴史学者や民俗学者が「聖絵」の存在意味を強調していたが、栗田勇が述べているように、一遍や「聖絵」に関して多く語られ出したのは、90年代に入ってからかもしれない。
イメージ小田切の里 歴史学者の網野善彦あたりが中世論のなかで「聖絵」についてしばしば言及するようになった結果だろうか。それでも「聖絵」のすべてが解明されたわけではないようだ。ところで、盆踊りの源流と称される一遍の踊り念仏は、1279年(弘安二年)信濃国小田切の里で始まったと「聖絵」に描かれている。小田切には善光寺に参詣した帰途に寄ったとあるが、そこは佐久平の西方に位置する山あいの小さな村落である。
イメージ 「踊り念仏発祥地」の記念碑  いまも古い農村風景があちこちに残っているが、モダンな農協の建物の一角に「踊り念仏発祥の地」の記念碑がたっている。かつて、一遍が伴野から小田切へと歩いたと思われる道筋をしばらくたどってみた。
イメージ佐久平を望む廃寺跡伴野近くに廃寺跡があった。道祖神、石祠、石仏、石塔などが草むらに転がっていた。大正の終りから昭和の初めにかけて、この周辺では農村青年による部落解放運動や農民運動が盛んだったという。


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