
『西河克己映画修業』出版記念会にて 映画監督の西河克己さんが4月6日に逝去された。91歳だった。
西河監督に初めてお会いしたのは、70年代の中頃だった。山口百恵主演の「伊豆の踊子」「潮騒」「春琴抄」の演出力や美意識に目を奪われた。それが機縁となって監督宅にしばしばお邪魔するようになった。その都度、戦前の松竹時代や戦後の日活時代における苦労話や裏話、さらに自らのビルマ戦線における死線をさまよった戦争体験などをお聞きした。そしてあるときは、蓼科の山荘に泊まり込み、西河監督の手料理をいただきながら、長時間のインタビューを試みたこともあった。そのときすべての回想を記録にとどめておきたいと思ったのである。やがて、それらの内容は『西河克己映画修業』(ワイズ出版)として結実した。この400頁を越える大冊に触れて、鈴木清順氏は「これは昭和の撮影所興亡の空前絶後の活人画である」と激賞された。
『つげ義春漫画術』出版記念会にて/左・鈴木清順監督、右・西河監督、後方・石井輝男監督 このあと、貴重な戦争体験もなんとか遺したいと願い、いつくかの出版社との交渉の末、『白いカラス』(光人社)として実現できた。そこには中国戦線での痛苦をともなう自らの体験が赤裸々に明かされた。ふだんはユーモアに富んだ温和な人柄を偲ばせていたが、中国戦線での戦闘が温和な人間さえをも獣性に変えてしまう事態を冷静に描き出していた。
たいへん義理堅くもあった。『つげ義春漫画術』(ワイズ出版)の出版記念会のときも快く出席された。そのときスピーチで「我々の世代ではマンガといえば、のらくろなんです。つげ義春さんのマンガを読んだことはなかったのですが、このたび見せてもらいましたらこわい絵なんですね。ぼくはひと一倍臆病ですからこわい絵がだめなんです」と述べて会場を笑わせていた。そういえば、西河さんは日頃からのらくろのTシャツを愛用していた。そして、そのあとのつげ忠男さんの『舟に棲む』や梶井純さんの『執れ、膺懲の銃とペン』(ともにワイズ出版)の出版記念会のときにも出席され、談笑を楽しんでいた。
映画「霧の旗」より、山口百恵と三國連太郎 自著『白いカラス』の出版記念会のとき、会場だけは私たちが準備したが、会の発起人を自らが買って出て、自分の手書きの垂れ幕まで準備され、その手際の良さに驚かされた。スピーチでもなぜかくも著者本人が発起人になったかをユーモアたっぷりに披露され会場を湧かせた。
1980年に長男(19歳)をオートバイ事故で亡くされた。翌日に電話があり、「昨日息子が事故で死んだので、頼まれていた原稿の締め切りが明日のはずでしたが、一週間ほど待って下さい」と用件だけを述べられた。葬儀の翌々日に桜上水のご自宅を訪ねた。西河さんは、スクラップブックに整理されたご子息の写真を開き、思い出を涙も見せずに淡々と話された。写真の下には、万年筆でご自身による写真説明が付されていた。
映画『霧の旗」より山口百恵 「夕べ一晩かかってしまってね」と話されたあと、「いい葬式だった。この家から息子の友人たちの何台ものオートバイが棺を乗せた霊柩車を先導してね、パプーパプーとラッパを鳴らし続け、ブオーブオーと大きなエンジン音を何度も響かせて出発した、まわりの家はびっくりしたかもしれないけど、あれはよかったなあ」と微笑んだ。その姿が忘れられない。
名匠・西河克己監督のご冥福をお祈りします。 (2010/4/17)
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