「万力のある家」店内 目黒川沿いの住まいから代官山まで歩いて10分とかからなかった。20年以上もまえのことだ。レトロな同潤会アパートはまだ健在であり、旧山手通りに面した「未来都市を思わせる」と評された外国人向けのヒルサイドテラスは完成したばかりだった。そのヒルサイドテラスの斜向かいに、やはり外人向けの雑貨屋があった。当時、大使館が並ぶ旧山手通りの裏手に当たる南平台や青葉台には外国人家族が暮すモダンな住宅がたくさんあった。ヒルサイドテラスではたまに外人主体のバザーが開かれていた。しかし、中古品といえどもわが庶民には目が飛び出るような高価なものばかりだった。
ところが、斜向かいの雑貨屋「メイフェアー」の品物は、意外と安かった。しかも日本の雑貨屋にはない色とりどりのデザインが目をひいた。そのなかにイギリス製の「きせかえ」があった。秋野は娘の遊びのためにそれを求めた。十数種の「きせかえ」が印刷されて一枚が500円。一枚、二枚と増え続け、やがては十数枚に達し、売られていた全種類を買った。娘たちの「きせかえ」遊びはそれでも足りなかった。イギリス製をもとに秋野は日本製を自分でつくった。
同じ頃、ヒルサイドテラスの真向かいに都電が1輛置かれていた。かつて、坂下の中目黒を出発し、「メイフェアー」横の三叉路から恵比寿を経て天現寺橋へと都電が走っていたが、その路線は60年代の終りに廃止された。そのころを誰かが懐かしんだのだろうか。ほとんど人通りのない旧山手通りをはさんでの未来都市と都電のある風景は、意外にのんびりとしていた。
バブル最盛期の80年代の終り頃、代官山が「おしゃれな街」に様変わりすると同時に、いつの間にか「メイフェアー」も店を閉じた。あとには、若い日本人向けのにぎやかな雑貨屋ができた。
なお、3月21日より「秋野すすきコレクション」展を「万力のある家」にて開催しています。 (2007/3/25)
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